charming records

ストリップファンが、ときどき本をつくります。

お正月を選ぶ

お正月が苦手だ。「お正月だから」が呪いになるから。格式にのっとって清らかに、めでたくなければいけない、と言われている気がするから。

年賀状、書きたい相手にだけよしななタイミングで出したい。経済的な余裕は人それぞれだから、お年玉は滅んでほしい。おせちで時間やお金に無理を強いられているひとはいないだろうか。誰でもいつかは死にますし、いつまでどうやって喪中するかは個々で決めればいいと思う。家族や親族とは会いたいときに会います。

まあこれを機に掃除しようかな、年が変わるのに乗じて気分も切り替えちゃお、くらいのノリで年の境を利用するならともかく、お正月のために苦しむひとがいるのは転倒している。わたしの実家がそうだった。慣習を死守するためだったら、家族を傷つけるのも辞さない家。年が明けたら暦以外になにが変わるのか、どうめでたいのかわからないわたしは、毎年大みそかは怒りを押し殺すために閉じこもり、1月2日あたりで倒れる。


ストリップを観るようになってから最初のお正月は2019年で、長年エスケープしていた親族の宴に強制連行、案の定ぼろぼろになってそのまま駅に直行し泣きながら東京へ帰った。翌日、うちでひとりだらだら過ごそうとも思ったけど、劇場へ行ってみた。三が日も終わってないのにいつも以上の混みようでびっくりした。みなさんうちにいなくていいんでしょうか。わたしは逃げてきましたが。劇場が開いていてほんとうによかった。お正月を過ごす選択肢のひとつにあるのが。

 

ストリップの新春興行はちょっとスペシャル。劇場によって違うけど、たとえば、お神酒、お雑煮の振る舞いや入場者プレゼントなど。そして、なんといってもお正月の演目! 踊り子さんそれぞれのお正月観が表れていて面白い。三番叟が行われる劇場もある。三番叟は、能に始まって歌舞伎、文楽へと伝わってきた、幕開けの祝儀の舞。*ストリップ劇場の三番叟については、マンガ『女の子のためのストリップ劇場入門』(菜央こりん)|講談社コミックプラス に詳しく描いてあるので、ぜひ読んでみてください。

 

大和ミュージックで観た、南美光さんのお正月作品には度肝を抜かれた。ギンギラギンの和装で登場。長い布がついた扇子を絶えず動かす。布がひらひらと舞う。波みたいだったり、炎のようだったり。これはかなり筋力を使うのでは。この盛りに盛った華やかさ、まるでお正月の化身。次の衣装は獅子舞! 中に入っているのはもちろん南美さんひとりだけど、この動きは四足歩行に見える。ふだんのダンスと身体の使い方も違って難しそうなのに、すごい。花道を練り歩き、近くのお客さんの頭に噛みついて回る。どのお客さんもうれしそうに頭を差し出す。南美さんの顔も見えないのに、なんだかこちらまでハッピーになるやりとり。いいなあ。このあと、南美さんといえばのお約束、ドエロい湿度100%の濃厚なベッドショーもばっちり入っていた。

南美さんのステージはいつだって、ストリップに求められる万事がぎっしり詰まってて吹き寄せやお重みたいだけど、これは格別に縁起のいいものを観た。この場にいたひと全員大吉だ。根拠はないけど。


ライブシアター栗橋では、劇団栗組のお芝居。この劇場の所属だったり縁が深かったりの踊り子さんが勢揃いして、新春限定の寸劇をやる。牧瀬茜さんが脚本を手がける、明るくて間の抜けたコメディ。わたしが観た回は、踊り子さんの台詞が飛んだり音響や照明がトラブったり、かなりグダグダだったけど(稽古の時間なんてほとんどないんだと思う)、場内は何度もどっと湧いていた。いつもの踊り子さんたちは日ごろの鍛錬を感じるかっこいいパフォーマンスを決めているのに、このゆるさのギャップよ。でも、お客さんを笑わせようと力を込めているのは変わらない。きれいでかわいい役は美樹うららさんのお姫さまだけで、あとの踊り子さんたちは落武者やアフロのスケバンなどなどイロモノをたのしそうに演じていた。

お正月のライブシアター栗橋は、ふしぎと実家っぽい。ふだんは全国各地の劇場で踊っているファミリーが集結して、和気藹々と団欒しているお正月の感じがあった。劇場のすぐ裏に田んぼが広がっているのもあるかもしれない。


渋谷道頓堀劇場では入り口に門松が飾られ、ご自由にどうぞの御神酒があり、ロビーで大鍋が煮えていた。写真の時間になると、お客さんがロビーへ走り、鍋の様子を見に行く。出番の合間の踊り子さんが食材を刻んだり、鍋の中身をかき混ぜたりしていた。夕方ごろになって、トマトリゾットの出来上がり。従業員さんもお客さんも自分でよそって食べる。その日は写真の列が場外まであふれるほどの混雑で、すぐに割り箸と紙皿が足りなくなり、お客さんが買って差し入れる。

 

ストリップのおかげで、わたしはお正月のいいとこ取りができるようになった。2020年は遠征で気持ちをあたためてからそのまま帰省して、すり減る前に離脱してまた劇場へ行った。

新春のストリップでこんなに晴れやかになれるなら、お正月よ存在してくれてありがとう、とちゃっかり手を合わせたくなる。都合がよすぎるかもしれないけど、生きてると正面から取っ組み合わなきゃいけないことはいくらでもあるから、年中行事くらいこんな距離感でいさせてほしい。あれこれと取っ組み合って季節のいいところを届けてくれる踊り子さんと劇場の方には感謝が尽きない。

誰もが自分のためのお正月を好きに選べるようになったらいい。



今年の年末年始は、帰省しないことにした。だいすきなお雑煮はつくる。切れたままほったらかしてる電球をいい加減なんとかする。ごろ寝して本をむさぼり読む。配信もたのしみ。仲がいい家族や友人とはビデオ通話するつもり。

劇場へ行きたい。

感染して発症した場合のリスク、医療の逼迫した状況を考えれば、なるべくひとと会わずすれ違わないようにすべきなんだろう。自分が誰かを感染させてしまったら、と想像すると胸のあたりが寒くなる。

外に出たくなくても、休みたくても、そうしたらお金がなくなって生活できなくなるから、できないのがいまの日本だ。営業しつづけている場所があるのは、客が必要だから。

他人のことが想像できない、他人の言葉に耳を傾けようとしないひとが権力を持って政治を動かしている。性風俗業は「社会通念」を理由に持続化給付金の対象外にされた。医療関係者の待遇はいまだにまったく見合っていない。旅行や外食以前に生活が立ちゆかないひとこそ、すぐにお金が必要なのに。

根本的な解決のために行政へ働きかけるにしても時間がかかる中で、今日明日の暮らしが危ぶまれているひとがいる。

体調や情報を慎重にチェックしてできうる限りの対策をした上で、集まるひとたちのことを咎められる「正義」はいまあるだろうか。


新しい年、誰もが年がら年中好きなことを好きに選べる世界へ近づけますように。ほど遠くても、わずかでも。祈るだけじゃないことをやっていきたい。疲れて動けなくならないように、休み休み。また上から踏みにじられて、無力感に打ちひしがれそうになっても。